
〖同窓会〗
自分の先生である 元S.V.G.代表 シンサック ソーシリパン氏が亡くなったのが、今年の夏のことです。
シンサックさんは日本のキックボクシング黎明期に来日し、当時の2大看板である沢村忠選手や藤原敏男選手と何度も拳を交えました。
引退後はシュートボクシングやUWFでコーチを務めるなど、現在の格闘技界の礎を作った立役者の一人です。
その後、世田谷区烏山の地にS.V.G.(シンサック ビクトリー ジム)を設立して数々の強豪選手を育て上げました。
自分なんぞは選手として 箸にも棒にも掛からぬ ヘボ太君(←誰?)でしたが、直接手ほどきを受けたと言える最後の世代となります。
10月10日(土)にS.V.G.に縁のある人々の会合(シンサックさんの奥様の誕生日)があると聞き 参加して来ました。
出席者のほとんどが未だにキックに関わっている人ばかりで、中には自分のジムを持っている方も数名おられました。(あっ!自分もだ!)
全員10~30年来の付き合いだが、見た目がほとんど変わっていないアンチエイジングな方々ばかりである。(見事に歳とらないですよねぇ~)
その代りみなさん 内面は程良く 丸くなりましたね。 逆にそれだからこそ今回の会合が成り立っているのでしょう。
そもそも格闘技続けてるヤツなんぞは アクの強すぎる変人の集団なので、(自分だけは違います、多分・・・) 平和裡に集まれるなんてことが 不可能に近いのである。

【高架下のジム】
自分が入門した時のS.V.G.は ジムと言ってもジムは無く? 中央道の高架下の公園にちょっとしたスペースがあり、そこに道具を運び込んで練習していました。
屋台で使うような電球をぶら下げて、タイマーなんて物は無いので カセットテープにインターバルを吹き込んだものを流して 即席ジムの完成です。
当然足元はマットなどなく、コンクリートむき出しで その上で平気でぶっ倒し合いなどしてましたが、誰も怪我なんかしなかったですね。
サンドバックは廃材の鉄骨にぶら下げたものが一基あるだけなので、下っ端の自分なんぞは触れさせても もらえなかったです。 ミットも試合前などの特別な時以外は持ってもらえません。
季節によっては大変なことも。 なにしろ吹き曝しの空間なので、夏は動きを止めると蚊の大群に襲われるのでインターバル中も休めず、冬は冬で動きを止めると凍死してしまうという。(ウソ)
このような状態でありながら 当時は業界トップレベルの実力を誇っていたので、強さと環境は無関係だと言うことを実感させられました。(環境が良いに越したことはありませんが・・・。)
原体験がコレ↑なので 今時のジムはどこも至れり尽くせりの素晴らしい場所にしか見えませんね。 これで不満を口にしようものならバチが当たるってもんです。
もしそれでもワガママを言う バチかぶりな会員さんがいたならば、以下のように諭すのがよろしいでしょう。
『天井と壁があるだけでも有り難いと思え!(-_-メ)』 (←こんなこと言ってるジムは早晩潰れるであろう・・・。)
P.S. Youtubeで当時の高架下での練習の様子が見られます。
久しぶりに現地を訪れてみましたが・・・脳内では当時の風景が鮮明に描けるのですが、どの場所で練習していたのかさえも特定できない程に様変わりしていました・・・。 30年近く前の事だからなぁ~。


【その後】
90年代も中盤になり、遂にココから立ち退く日がやってきます。
その発端となる出来事が ”阪神淡路大震災” です。 関西での出来事が何故?と思われるでしょうが、繰り返し報道されたのが高速道路が崩落した衝撃的な現場だったことが 記憶にある方も多いでしょう。
そのため この場所も橋脚の ”補強工事” を行なうとの理由で 体よく追い出されました。 工事の期間は数か月かかるとのこと。(この時はまだ みんなココに戻れると思っていたんです・・・)
さあ、その間どうするか? みんなで手分けして練習場所探しが始まりましたが・・・そんなの無いですよね。
自分の場合、当時勤めていた会社に 社員のレクレーションとクラブチームのための大きな体育館があったのですが、常識的に考えて 「相手にされないだろうなぁ」 と思いつつも、
ダメ元で ”借りられないか” と会社の総務部に掛け合った所、なんと!あっさりOKを頂きました。 不況でクラブチームの解散が決まっていた時期だったので、タイミングも良かったんでしょうか。
期限は半年で、家賃も「えっ!いいんですか?」という程の破格の値段です。
その後数か月経過し、高架下の補強工事も終了したものの、元の公園は2度と練習など出来ない構造に造り変えられ、戻れなくなってしまいました。
そのため 当初半年だった予定が 結局ズルズルと ”3年半” もの間、体育館に間借りさせて頂く結果となりました。(いい会社だ!)
その間の一番の思い出が、社員の家族向けの夏祭りで ”恩返しとして” キックの興行をやらせてもらったことです。 これは選手と審判以外の ほとんどのスタッフを社員で賄うという 前例のないイベントで、
例えばリングアナは社内の歌自慢?の先輩にお願いしました。 入場料はなんと!軽食付きで500円です。(←これはもう観るっきゃないでしょう!)
この時の様子を収めたビデオは家宝になっています。 20世紀の おおらかな良き時代のお話でした。

【受賞いたしました】
10月3日(土)に参加したアマチュアKNOCKOUT、感染症対策で 「試合の終わった人はとっとと帰ってくれ!」 のスタンスで、各賞の発表は後日とのことでした。
楽しみに待っていたところ、須賀選手が特別賞、木村選手が敢闘賞に選ばれました。
須賀選手の受賞は ”衝撃の11秒KO” で納得なのですが、負けてしまった木村選手がなぜ?と思われるでしょうが、主催者の山口元気代表に 会場でしっかり挨拶していたことが大きいかと。(関係ないか!?)
やっぱり挨拶って大事ですね。 そして後日賞品として100均で売ってそうな ”ビミョーなモノ” が贈られてきた・・・・・。 (-_-;)
